基本情報
*1996年3月27日生まれ
*高橋 芳希
*趣味は、プロ野球観戦、一人旅、読書、美味しいもの巡り
*普段は正社員として、バレエ系の会社でWEBマーケティングアシスタントとして活動
現状の自分を変えたいと2021年、
環境を変える決意
「今の自分がとにかく嫌で、将来へ感じる絶望。
何かを変えたいけれど、何をすればいいのかが分からない。」
もし、同じ境遇を抱えている方がいたら、そんなあなたへ。
私が先にWEBでの成功(夢リストを叶える)を証明し、
ここに残したストーリー記録をご覧いただくことで、ともにWEBをスタートし、将来への不安をなくしていってほしい。
そんなプロフィールになります。
よしきって人、なんかやばない?大丈夫?!
そもそもどんなやつなの?とか思われた方へ🙄
下記👇を読んでもらえれば、
私の破天荒な人生のすべてを晒しています😎
幼少期~中学生時代:母との別居生活が私の人格を作りあげた
1996年、3月、私は千葉に生まれました。
幼少期の性格は、親や周りの人に心配されるほど、
誰とも何も話さない人見知りなやつでした。
幼稚園の記憶に関しては、
先生以外の友達とろくに会話した記憶がありません。(笑)
そんな中、
私が小学2年生くらいの時に、突然、母親が家から出ていきました。
元々両親の仲は昔から今もよろしくなく、小学校低学年の時には毎日のように父親が怒鳴りあい、母親が泣きわめく。
小さい子供の私と弟が部屋にこもり、喧嘩を繰りかえしていたことを、わずかながら覚えています。
あとから聞いたら、当時母親はうつ病にちかい症状。
離婚ではないですが、別居という状態が続きました。
母親が帰ってきたのは、私が中学2年生の夏休みになる頃でした。
それ以降はおばあちゃんが家に来てくれて、料理をふるまってくれたりしました。
ただ、私は当時の心境を思い返すと、
母親が大好きだったこともあり、「早く会いたい。この家にいるのは嫌だ。」と常にこういう思いが幼い私の胸の中にありました。
また、授業参観には毎回、一人だけ父親がきたり、
当時の私の性格も相まって、
低学年の頃は、いじめられっ子でした。
その時から私は家でも学校でも居場所がないと
感じるようになっていき、
周りの環境から当時の人格が形成されていきます。
ただ、小学生の高学年になると、
段々と友達が周りに増えはじめ、
それに比例して、私の性格も
少しづつですが変わっていきました。
中学生~高校生:自殺未遂を行う 暗い学生生活
やがて中学生になると、
私の中でいろいろな「負の感情」がでてきた時期でした。
中学1年生の時には、人生で初めて家出をしました。
そして人生を終わらせることを考えていました。
その時の心境を話すと、
根本は「自分が何者で、価値が分からない。
生きてる意味が分からなくなった」こと。
もちろん仲の良い友達はいました。
ただ当時は、母親に会えないストレスだったりとか、
言語化できない劣等感などがあったのかもしれません
思春期特有の、
本気でこの世からいなくなろうと
考えていた時期でした。
今でも覚えているのは、
体育館で校長先生の話を聞きながら、息を止めてみたり、
公園へゲームを持っていって家に帰らずに飢え死を試みたり。。
また、当時は勉強や定期テストをする意味が分からず、
まるで反発するかのように勉強は一切せず、
学校の成績に関しては非常に悪かったのですが、
中学3年生のころは偏差値が低いながらも、
「何か一つ、この中学時代に精一杯頑張れることをしたい」
と思うようになります。
それは、中学時代に所属していた陸上部を3年生になる前に辞めてしまったので、なおさらこう思うようになりました。
そして、中学3年生の頃に受験勉強で人生で最大の努力をします。
当時習っていた進研ゼミで1日8~10時間の勉強をしてました。
寝る間も惜しんで最高の努力をした結果、志望校に合格したときは、
重圧からの解放と初めての報われた努力で泣きました。
滑り止めを受けず、当時の僕の学力は酷かったので、
落ちたら定時制の高校と決まっていました。
なので重圧は半端なかったです(笑)
高校生になると、学校の成績は少しづつ良くなりました。
学年で出される期末テストの点数順位で
TOP10には必ず入ってました。
高校2年生までは
何かと殻に閉じこもっていた
自分でしたが、
高校3年生の時期は非常に
楽しい時期となりました。
今でもあの頃に戻りたいと
思うときがあります。
専門学生から新社会人へ:小さい頃の夢、社会へのギャップに悩む
高校3年生になると、進路について考えます。
周りの友達は、就職する人と進学する人、半々くらいでした。
自分は高校3年生の1学期くらいまでは就職しようと思っていたのですが、
水処理関係の仕事をしたいという夢があり、追いかけることにしました。
当時、小学3年生の時に社会科見学で経験した浄水場の機械、ろ過の仕組み、水がきれいになる流れに感動を覚え、ずっと夢としてありました
水処理事業を習うには、
化学系の学校に行く必要があると思い、
急遽進学を志します。
ただ、大学の4年間はとにかく長く感じたので、
時間を無駄にする気しかしませんでした。
4年分の学費も返すのが大変という理由もあり、
化学系の専門学校へ入りました。
学生生活は周りの人の環境にも恵まれ、
無事に第一志望の内定が決まり、
周りよりも比較的早めに就職が決まりました。
1年間、大きい公園の中にある公園の川、
小合溜の管理をほぼ雑用でしたが
2年目から、念願の金町浄水場に異動になりました。
自分としては、念願の浄水場で働く夢が叶いました。
順風満帆とは思っていましたが、
そこで最初の挫折をします。
いわゆる、
思い描いていたイメージが180°違っていました。
日々、簡単な業務の繰り返し、休み放題。
仕事が早めに終わって数時間、
部署の皆ですることはなんと雑談。
こういうことは言いたくないですが、
ものすごく「生ぬるい」環境でした。
バイトでもない。こういう環境が当たり前に用意されていてお金を貰えるような環境。
違和感を覚えます。
最初はこの楽な環境が楽しくて仕方ありませんでした。
しかし色々な方の話を聞くときに若い自分が働く場所ではない、
と日に日に強く思います。
結局そのあと、別の部署に異動になったわけですが、
自分が思い描いてたギャップがすさまじく
「もう水処理業界では働きたくない」と、
この業界に対する気持ちもなくなっていきました。
そして、新しい環境では業界不振もあり、
2年半で辞めてしまいました。
転職~今に至るまで:自分はADHDなのか?劣等感が増す
元々学生のころから、一人旅や島旅行が好きだったこともあり、
次なる転職先として、旅行会社で働くことに決めます。
ですが、私は理解力というものが人より以上に低く、
それを治すための努力の仕方も分からなかったため、
やがて職場内では毎日の様に怒られていく日々を過ごすことになります。
いわゆる仕事ができない人間の代表例として、
毎日ボロボロになりながら雑務をこなし、
心はすっかりと病んでいきます。
私はそんな自分に対してもともと劣等感を抱えていました。
仕事というのは、他者に貢献するものではなく
「毎日を怒られないように乗り切ること。」
そのように思い始めるのです。
そんなある日、旅行会社の上司に
「高橋くん、発達障害なんじゃない?」と
真面目な顔で言われました。
これはうすうす自分でも考えていたことでもあり、
すごくショックだったことを覚えています。
おそらく脳の作りが他の人と違うのでは?と感じるくらいに、
人から言われたことができない。私はそんな人間なのです。
実はその後、
ネットで検索した発達障害テストに余裕で引っかかってしまいました。
この経験から怖くなり、私はいまだに病院に行けておりません。
ただ、2021年現状の私は、たくさん努力や勉強を重ねたこともあり、
少しずつですが一般レベルくらいには近づけたことは自負しております。
当時の私は、いつしか仕事に行くのが苦しくなり、
昼ご飯も食べれなくなる。
そんなつらい毎日を過ごすようになります。
そこには耐えて、
約1年間死に物狂いで頑張りました。
※2022年8月17日追記
つい最近新宿の某精神科に通ったのですが、
結果ADHD(発達障害)と診断されてしまいました。
ただ、今では前向きにとらえています☺
だからこそ、こんな自分が成功した世界線を見せてあげることで
同じ境遇の人の力になれると思っているからです
そんな私は、2018年に旅行会社を
1年間務めた後に退職し、
何かスキルを学びたいと
アビバのパソコン教室に通いはじめます。
学びながらも
アビバでは派遣会社から求人案内もしている話を聞いたので、
将来につながる仕事を探していました。
アビバで紹介された求人では、コールセンターの求人しかありませんでした。
コールセンターは女性のイメージが強く、前向きではありませんでした。
その中で、テレアポ、いわゆる電話営業の
会社の求人を1つだけ見つけました。
営業なら男も多少はいるかな。と思い、
そんな軽い気持ちで入社したのがスタートです。
ただ、旅行会社時代も電話応対だけは本当に嫌いだったので、
パソコンスキルが身に付いたらすぐに辞めようと思っていました。
ただ、その会社は、
今まで経験した会社の中で最高の会社でした。
まず社長含め、
会社全体が夢のある社員を全力応援してくれるスタイル。
当然、人も良く、アットホーム、フレンドリーな会社。
仕事以外にも、定期的に楽しいイベントや
社員旅行したり、部活もあります。
私は、野球部と、麻雀部とモンハン部に入っています(笑)
今振り返って思うと、
この会社では本当にテレアポ以外のたくさんのことを学びました。
メンタル面、人の気持ちを理解する、考え方、知識
全て本やセミナーでは学べないことばかりでした。
すぐに辞めようと思っていたテレアポ会社ですが、
成績も安定していき、結果的にwebマーケティングを始めるまで
2年以上勤務を続けることになります。
自粛期間の影響もありますが、
入社前と入社後では別人に変わったと思います。
周りの人からも言われるようになりました。
いま現在は、webマーケティングを極めるために退職していますが、
退職後も、会社の人とは繋がりがありますし、
退職日は号泣してしまいました笑
昨年の自粛期間で転機が訪れる:人生が変わるきっかけ
テレアポをやりながら、
休日はアビバのパソコンスクールへ足を運ぶ生活。
24歳のころは、
将来のキャリアについて悩んでおりました。
というのも、土日に通っていたアビバのパソコン教室での学習を、
段々と目標が明確になれずになっていったからです。
今思うといい失敗なのですが、
迷走しまくって意味もなく20~30万円くらいする
簿記2級コースを受けたりしていました
その他、パソコン教室では主に、Excelやデザインスキルなどを学んでいきましたが。
・将来、自分が今学んでいるスキルで社会で活躍できるイメージが湧かない
・自分は本当に将来オフィス業を極めるために学んでいるのか?そこを学んだ先になにがあるのか?
私はこのアビバスクールに入ってからというものの、
1年間の入学料や教材費で合計で
100万円以上は投資しています。
高い学費、コースの料金を払ってしまっているので
いくらこの2つを悩んでいても、
自分の中ではもとに戻れない。
これがいわゆる自分の行動にしばりをかけていました。
行動に制限をかけていて、一貫性の原理が働き、
決めた道を曲げられなくなっていたのです。
ここ一年くらいは、
そんなもやもやした視野の狭い道の中で生きていました
自分は本当は将来、何がしたいのか?
ばかり考えていました。
そんな時に、コロナウイルスが流行りだします。
今思うと、ここから人生の転機へと向かいます。
2020年の4月~6月くらいまでの
長い自粛期間がきっかけで、
本を読むことに目覚めます。
会社から自粛期間中の読書感想文の宿題が出され、
たくさんの本を読み始めたのがきっかけです。
この本との出会いが私のここまで歩めた最初の人生の転機、
最初のきっかけになります。
今となっては、
このような課題を出していただいた
会社の社長や幹部にすごく感謝しています。
そこからビジネス本や自己啓発本等、
自分を成長させてくれる
たくさんの本を読んでいきました。
本を読んでいるうちに、
学ぶ価値、知識が増えていくことの楽しさに気づきます。
正直、今は学生よりも
社会人になってからの方が勉強を頑張っています。
そして、2021年の4月に再度、
読書をきっかけにした人生の転機が訪れます。
樺沢先生の「アウトプット大全」
という本を読んだのがきっかけで、
Instagramを使い、
読んだ本をアウトプットするアカウントを設立します。
最初に結論を言ってしまうと、
ここでInstagramのアカウントを作っていなかったら、
今ごろどうなっていたのか見当もつきません。
そこでたくさんのフォロワーさんと交流をしました。
(もちろんオンラインが中心ですが。)
意識の高い
フリーランスのフォロワーさんが多かったので、
実際にフリーで活躍されている方の話や、
紹介されているセミナーをたくさん聞いてるうちに
フリーランスへの働き方に憧れを持ち始めます。
そこで知ったのが、
WEBマーケティングです。
WEBマーケティングという言葉。
今まで聞いたことはあったけど、
いまいち何が何なのか分かってませんでした
紹介されたセミナーで、
これからの時代は
「マーケティング」を「WEB」で行う
この市場がこれからもどんどん
伸びていくと話をされていました。
私は元々、趣味でやっていたはてなブログ(20記事くらいしか投稿していませんが。。)や趣味で電子書籍も書いたりしていました。
と言っても文章力全くなく、
下手くそすぎるので、
全然公開していないのですが(笑)
私は自分で文章を考えて、
文字に起こしていくのがすごい好きなので、
本気で挑戦してみたら、
どこまで自分ができるのかを試したい。
こう思うようになりました。
そこで思い立ち、
WEBマーケティングを教えてくれたセミナーの主催者に相談し、
フリーランスコミュニティに入ろうと行動を起こします。
そのフォロワーさんにお願いし、
そのセミナーをされていた方の運営されているコミュニティに入れてもらいたい!
という気持ちが湧いていきます。
しかし、面談を重ねていくうちに、
その講師に対して違和感を感じていきます。
ずっと何かを否定するような口調だったり、
本質的な答えを教えてくれない、
ただ時間だけが過ぎていくような話し合い。
段々と不信感が芽生え、
率直にこの人についていきたくない。そう思いました。
言っていることは、
理にかなっていると思いますが、
人間的な部分。
「このコミュニティは100万円のコースもあるけど、借金してでもやった方がいい。」
私には、この言葉がまるで洗脳のように聞こえました。
おまけにこのコミュニティは、
ホームページにも載っていない環境。
不信感を覚え、
すぐにこのコミュニティを諦めました。
慣れているんでしょうか。
自分としては、失敗続きの人生を送ってきているので、
全く落ち込まなかったのです
むしろ、WEBマーケティングという言葉を教えていただいた分、
そのフォロワーさんにすごく感謝しています。
私は、すぐに次の行動を起こしました。
WEBマーケをやっていきたい気持ちは
一切変わることなく、
しっかりとホームページに載っているスクールを自分で調べました。
見つけたのが、キークエストというWEBマーケティングスクール
キークエストの代表と
無料での電話相談を20分程度してみただけです。
「この人についていこう」
「この人についていけば、何か変わる気がする」
そう直感的に思いました。
そして今に至ります。
私はWEBマーケティングを日々学び、
人生を変えようと必死に学んでいるそんな旅の最中です。
最後に
昔の私は、このように考えていました。
人として良いところがひとつもなく、
全ての面において何かが人より劣っている。
自信が持てない性格。
じゃあ、自分の強みは何か?に対して、
作業量と言いたいのです。
容量がわるく才能がない分、
人よりやらなくてはいけないのです。
このブログで証明していきたいのは、
「ド凡人がWEBマーケティングで月収50万円を稼ぐ人生の逆転ストーリー」です。
今の私は、例えるなら、深海に位置しています。
周りを見返すと、クリオネやチョウチンアンコウなどが
静かに泳いでいるような場所です🐡
ここが底辺だとするならば、
深海からまずは地上に上がり、
周りの人に追いつくところからがスタート。
そして一気にそのまま
底辺から天空(ウユニ円弧)へ羽ばたきたい。
ド凡人が「下層からウユニ円弧を目指す。」
その過程をブログで発信し続ける。
これが私の考えたブログのコンセプトでもあります。
当ブログの提供価値
そして、このブログをどんな人に見てもらいたいのか。
ブログの目指す提供価値について書いていきます。
まず私は、このブログ記事を過去の自分に向けて書いていきます。
あの頃の、21歳の私に向けて発信していきます。
それは、以前の私と同じように
学歴やスキル、仕事の能力を持たずに、人生の不平等さ、劣等感、将来に対して生きる価値を見出せない方へ、25歳の私が実験台となるように、まずはWEBマーケティングを学ぶことで2年で月収50万円以上を達成し、ここに残したブログ記事の過程をもとに同じような境遇の方へ向けて自らが教えていきたい。
21歳の私というのは、
何となく決められたレールに乗っかり、
社会に進み、自分の能力のなさに劣等感を感じる
また、上の記事では言っていなかったのですが、
21歳のころはアムウェイというMLMもやっていました。
本気で人生変えようと思っていましたが、半年で辞めています。
21歳の私は、とにかく上手くいかず、
特に絶望していた時期。
この先の長い人生に光なんてあるのだろうか?
そう考えていました。
その時の私に、同じ道を辿ってもらいたいのです。
そしてこれを見てくれる同じような読者様にも伝えたいです。
「よしきができたのなら、自分でもできる。」
このように思っていたただけたら、
幸せですし、
自分がブログで発信する意味があります。
将来、フリーランスになって、
世界中を旅しながら他社貢献する。
それが私のミッションステートメントです。
そんなこんなで長くなりましたが、
私のプロフィールを終わります。
そして、人生100年時代と言われている中で
今この25歳の私が、
最も自分を変えていくための重要な期間になると捉えています。
この記事の続きとして、
フリーランスになろうと決めたきっかけ、
皆様に届ける提供価値についてこちらの記事でまとめています👇
そんな夢物語を現実にしていけるように、
日々学習を怠らず精進していきます。
最後までご覧いただき、ありがとうございました😌